厚労省のWEBサイトで性同一性障害を「病気」と説明した記事が今月8日(2020/7/8)に削除されました。
世界保健機関(WHO)が遡ること6月18日、「国際疾病分類」最新版(ICD-11)を発表し、性同一性障害が「精神疾患」から外したことを踏まえると、ちょっと対応が遅かったですね。
それはともかく、ジェンダーの多様性は病気ではなく、個人の特性だという考え方が世界的に広まっているんですね。
さて振り返ってみると、ADHD含む発達障害はどうなんでしょうか?私は性同一性障害と同じく、個人の特性だと思っています。もっというと両方とも脳の特性ですね。別に生育環境で性やじっとしたり集中できないことに違和感感じるわけじゃないですからね。もちろん二次障害でひどくなることはあり得ますが。
となると「じゃあ発達障害も精神疾患から外そうか?」って議論も出そうですが、おそらくそれは現実的ではないでしょうね。発達障害当事者や医療関係者が困るでしょう。
理由その1. 福祉や就労配慮が受けられなくなる
少なくとも日本では「障害者」と認定されているからこそ、自立支援医療(医療費が1割負担かそれ以下)や障害者手帳(交通機関や携帯料金の割引あり)や障害年金(受給のハードルは高いけど現ナマもらえる)を受けられるわけです。これが障害と認められなくなったら?「明日からどうやって生活していけばいいんだ?」と路頭に迷う人も出てくるでしょう。
福祉だけでなく、発達障害者の中には「障害者」という枠組みの中で仕事上の恩恵を受けています。障害者雇用枠や職場での就労上の配慮がそれに該当します。これがなくなれば「どうやって働けばいいんだ?」と困る人は多いでしょう。
理由その2. 定型発達者からの批判をかわせなくなる
チームの輪を重視し、秩序で統制された組織でのパフォーマンスを重視する定型発達者からみると、「ミスが多い」「空気読まない」「独断先行」が目立つADHD含む発達障害者は異質な存在であることは間違いないでしょう。
それでも「障害者」というラベルを錦の御旗にすれば、秩序を重んじる定型発達者は発達障害者を真正面からは批判ができない世の中になっています。この見えないバリア効果は大きい。このバリアが消えてしまったら?「ただの面倒な人」というラベルを貼られる不安が高まることは容易に想像ができます。
ということで、何でもかんでも平等にしてしまうことでかえって不自由感を高めることにもなってしまうのです。
それでも自分が思うのは
しかし、発達障害者の私は、いつか定型発達者と同じ目線で生活ができる世の中になってほしいと本気で思っています。その方法は彼らからの歩み寄りではなく、発達障害持ちでも対等に接するノウハウや力を身に着けることでです。
あるんですよ、発達障害の良いところって。文才や画才、音楽の才に長けていたり、アイデアの出る量が豊富だったり、リスクを恐れず実行できたり(単にリスクを考慮していない事もあるかもですが…)ADHDに社長(自営業者含む)が多いのは、人並み外れた才能と突破力があるからだと思うんですよね。
もちろん、才能がある人ばかりではありません。むしろそれで食べていけるほどの才能を持つ人は一握りです。だから一点突破的な生き方をするにはそれなりのライフハック(主にできないことを補う系の)を身に着ける必要があると私は思っています。
今自分が取り組んでいるLINEのオープンチャットでADHDの知恵やノウハウを蓄積しつつ、少しずつゴールまでの距離を縮めていきたいなと思っています。オープンチャット「ADHDのライフハック」https://line.me/ti/g2/WMAWGjD4euiplmFD71pbdA?utm_source=invitation&utm_medium=link_copy&utm_campaign=default