日本人は「謙遜」を美徳と考える人が多く、その中でも発達障害のある人は自分を控え目に評価する人が多いと思います。とりあえず口先だけでも謙遜しておくというのは、人間関係を良好に保つという意味では大切なことかもしれませんが、ここで謙遜をぐっと堪えて思い切って自分を褒めちぎった方がいいのでは?という内容の本を読んだのでシェアします。
控え目思考は限界を低く定めることに
「予想以上の結果を出すことができたのは皆さんのおかげです」とか「運よく自分の力以上のものが出せました」といったような、自分の力以上のものが本番で発揮できたというコメントは、聞いている側にとっては「ここ一番でよく頑張った」と心地よく響くでしょう。しかし、心の中までも、あるいは結果を出す前にこんなふうに考えてしまうのは問題だということです。暗示を自分にかけてしまうそうです。我々の無意識は発言する言葉に非常に敏感です。謙虚な言葉を発することで「本当の私はもっと能力が低い」認識が自然に発生します。人間にはホメオスタシス(恒常性=いつもこうあろうとする力)が働いてしまい、自分を低く評価するような謙虚なコメントを口癖にすることで「能力が低い自分」が現実化してしまうのです。ホメオスタシスは体温や脈拍を一定に維持するような機能がありますが、こういう意識に対しても働いてしまうのです。怖いですね。
そこから先は一度くらいはまぐれて結果が出ることはあっても、コンスタントにいい結果を出すことはできなくなってしまいます。人間の限界とは、自己評価=自分のイマジネーションの限界だからです。なので謙虚なコメントを発するときは、心の中では「私の力からすれば当然です」「いい結果が出たけど、私の能力はまたまだこんなものではありません」と思
っている必要があるんだそうです。
これを表すエピソードとして2010年のバンクーバー・オリンピック、女子フィギュア・スケートで、日本の浅田真央選手と韓国のキム・ヨナ選手の同年齢ライパル対決を挙げています。筆者には競技前に結果が見えていたそうです。
浅田選手のコーチからは「(苦手な)ショートプログラムでは、キム・ヨナ選手にできるだけ点差を広げられないようにして、フリーで逆転する」というようなコメントをして横で浅田選手が聞いていました。これはやる前から「ショートプログラムではキム・ヨナ選手には勝てない」と浅田選手に暗示をかけてしまっているようなもので、コーチが最もやってはいけない類のものだったそうです。
これに対して、キム・日ナ選手は「結果は神様が選ぶ」というようなコメントを言っていました。これは「私は神を信じている。神は私を選ぶはずだ」という意映のコメントです。一方は「私は勝てない」と言い、他方は「私が勝つ」と言っているのですから、この時点で勝負は決まっていたんだそうです。
エフィカシーとは自己能力感
「自己評価」と日本前で訳されるものには「エフィカシー」と「セルフ・エスティーム」二つの概念があります。「エフィカシー」とは自分の能力(ゴール達成能力)についての評価、「セルフエスティーム」とは自分の地位についての自己評価のことです。
どちらも高いに越したことはないのですが、「夢をかなえる」のに重要になるのは「エフィカシー」の方だそうです。また、このエフィカシーは普段の生活の中でもとても重要な働きをしてくれます。
常に「どうせ私なんて」と考えてしまう人と、「もっとやれる!」と考える人とでは、人生が大きく変わります。日々の仕事や学業も自己能力感が限界を作ってしまいますから、「どうせ私なんて」と考えた瞬間に、その程度の結果しか残せなくなってしまうのです。どんなことでも「自分ならできる」と思うようにしましょう。
まとめ
・人間にはホメオスタシス(恒常性)があり、同じ状態を保とうとする
・「自分なんて…」という口癖を繰り返すことで、無意識の内にそうなろうとする(暗示)
・「私の能力はまたまだこんなものではない」と思うことが大事
ついで話
日本が太平洋戦争に突入したときの海軍大将で海軍の最高責任者である連合艦隊司令長官だった山本五十六氏についてのついで話です。
やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ
部下は上司の姿を良く見ているもの。口では立派なことを言っても、行動が伴っていなければ聴く耳は持たないし尊敬もされないから、①まずは自分がやってみせる。②そして相手にやってもらって、③ダメ押しでさらに褒めなきゃ人は行動しないですよって格言です。親が子供を教育するときにも使えそうなフレーズですが、この言葉には続きがあるんですね。
「話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。
やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず」
話を聞き、任せて、信頼する事で人は実る(成長する)というただ勇ましいだけの軍人ではなかったというエピソードですね。そもそも彼は司令長官になる前からアメリカとの戦争に反対でした。日中戦争、日露戦争で大国相手に勝利した日本が浮足立つ中、日米の経済力・軍事力の差が歴然なことを理解していて、もし戦えば必ず日本が負けるのが分かっていたからです。山本五十六氏は海軍少佐時代にハーバード大学に留学しています。そこで見たアメリカの経済の繁栄ぶりや軍需施設の大きさを目の当たりにして日米の国力の差を知っていたのです。
とはいえ陸軍が日中戦争を始め、日本が国際的に孤立を深めていく中でアメリカとの戦いを意識せざるを得ない状況になってくると、戦えば十中八九負けるであろう日本が取り得るシナリオ作りに取り組んでいきました。その結論が短期決戦でした。開戦後に当時ナチスドイツと戦っていたアメリカが大西洋戦線に主力を向けていましたが、当時開戦を警戒していた日本向けにもハワイの真珠湾周辺に海軍兵力を結集していました。そこを日本海軍のほぼ全兵力を差し向けて奇襲で叩き、ソ連に仲裁に入ってもらって講和を結ぶ。これがシナリオでした。結局日本がアメリカに大勝したのは真珠湾の一戦だけで、あとはボロ負けだったのでバクチは何度も勝てるわけではないという教訓でもあるわけですが・・・
ところで山本五十六氏自身、ギャンブルが大好きでしかも強かったようです。ギャンブルの強さは実は理由があって「私欲を挟まずに冷静に観察する目」を持っていたからだそうです。実際山本五十六氏は勉強では数学が得意だったそうで、確率的な勝機を心得てギャンブルに臨んできたのでしょうね。それが仕事である戦争の作戦立案でも活きたということです。
もし平和な現在に生きていたら、きっと優秀な投資家、実業家、政治家になっていたでしょうね。知性と思い切った判断力の両方を兼ね備える彼は、山崎豊子の小説の主人公にもなりそうなキャラクターです。戦後70年以上がたちましたが、こんな彼が今生きていれば世界を混乱に陥れているコロナショックにどう立ち向かうのか、見てみたいものです。