頭のいい人はよく「抽象度」という概念を使っています。最近読んだ本で「抽象度」という概念について理解したのでシェアしたいと思います。
抽象度とは要素間の関係性
ある複数の要素をもついくつかの集合を考えます。そして、その集合どうしの関係を考えていきます。例えば、「動物」という集合がありますが、これは「生物」という集合の中の一部分と考えられます。その「動物」という集合の中には「哺乳類」という集合や「爬虫類」という集合があったりします。「哺乳類」という集合には「犬」という集合や「猫」という集合、「人間」「馬」⋯⋯などの集合があります。
パソコンのフォルダのように「生物」フォルダが「動物」フォルダを含み、「動物」フォルダが「哺乳類」フォルダを含み、「哺乳類」フォルダが「犬」フォルダを含んでいます。このとき、上位にあるフォルダほど「抽象度が高い」と表現します。
また、「犬」よりも低い抽象度の概念もあります。「ポメラニアン」とか「土佐犬」などです。抽象度が高くなる(上がる)と当然ながら抽象的になり、抽象度が低くなる(下がる)と具体性が増すことになります。
あるいは、「私」という集合(この場合は要素は一つと考えられますがそれでも集合と言えます)と「家族」という集合があった場合、「家族」の方が抽象度が高い概念になります。
「家族」よりも「地域(近所)の人たち」、「地域の人たち」よりも「市区町村の人たち」「都道府県の人たち」「日本の人たち」「アジアの人たち」「世界の人たち」「宇宙の生物たち」というように抽象度が上がると対象が広がったり、範囲そのものが壮大になります。この抽象度を上げ続けられる人は、目標の実現可能性も高いという話でした。
夢も抽象度を上げる
この本では「抽象度が高い=夢(人類レベル)」「抽象度が低い=目標(個人レベル)」と書いていました。抽象度の高い夢を持つ人は、それを叶えるためにその手前の目標を突破するはず、という論理でした。また個人の域を出ない目標達成レベルでは夢とは言えず幸福度も低いという事でした。例えば「自分の幸せ」と「家族全員の幸せ」とどっちがいいかと言えば、エゴイストを除けば、普通は後者のはずだから、という論理です。
そして、「家族」より「地域」、「市町村」「都道府県」「日本」「ァジァ」「世界」「宇宙」というように、より抽象度の高い範囲の人たちが同時に幸せになれたほうがいいはずです。(宇宙レベルとなると私なんかでは想像も及びませんが)ということは、夢も抽象度が高い方がいいということになります。多くの人が幸せになれるという意味でもそうですし、現状からよりかけ離れているので、実現への推進力が高まるという意味でもそうです。
臨場感との兼ね合い
ただし抽象度が高まると臨場感が下がる(イメージしづらい)という問題もあります。突然「宇宙全体の幸せを考えよ」と言われても、普通の人は簡単にはイメージしづらいのと同じです。自分の幸せだけ考えていた人に、いきなり「世界全体の幸せを詳細にイメージしなさい」と言っても難しいわけです。
そこで「自分の幸せだけでなく、家族全員の幸せを考えなさい」くらいなら何とかできるので、「今より一段階かに段階だけ抽象度を上げて考える」ことからは始めればいいですよ。そして、臨場感を損なわないような範囲で更に抽象度を上げていけばいいわけです。そのための訓練が、「普段から一つ抽象度を上げて物事を認識する」というものです。「犬」を見たら、それよりも抽象度の高い概念で捉える努力をします。でも、いきなり「生物」と思うのではなく、「哺乳類」くらいに留めて、臨場感を維持します。「車」を見たら、「工業
製品」ではなく「乗り物」くらいに捉えます。
このように、一つだけ抽象度を上げて物事を捉える訓練を繰り返していくと、遠い先にある夢の実現についても臨場感を損なわずにできるようになっていく、という話でした。
スモールステップ(小さな目標で成功体験を積み上げる考え)もこれと似たようなものに感じる方もいるかもしれませんが、夢という「最終ゴール」から目標という「現実ゴール」に近づく点が以前の記事に書いた逆算思考に近いのかなと思いました。私もこれまで立てた目標が三日坊主で終わったのも臨場感が弱かったのかな?という観点で考え直してみようと思いました。
ついで話
雑誌の対談で語った一言が妙に頭に残っているので記事にしたいと思います。石原良純氏が芸能会に入るときに、叔父であり大御所でもある裕次郎氏に「芸能界で生きていく上で大事なことを教えてください」とアドバイスを求めたところ、返事はたった二言だったそうです。「1.時間は守れ」「2.挨拶をきちんとしろ」
大スターだけに回答もシンプルですね。良純氏はこれを聞いて、1.はすぐに分かりかならず現場には30分前には入ることにしたそうですが、2.で苦労したそうです。良純氏は最初楽屋の挨拶回りを徹底したそうです。確かに、挨拶をせずに嫌われたり、存在感のない挨拶でだれにも覚えてもらえず、結果として出演機会も減ってしまう。これは確かなのですが、いつも大きな声で
「おはようございます!」
と楽屋訪問やっていたそうです。一般的には礼儀正しく自分を印象づけるには良いことなのですが、芸能会の大御所には、そんな自己主張強めに見える態度が「自分の地位をおびやかす気に食わんやつ」と取られ、共演NGになったこともあったそうなんですね。
そこで良純氏はもちろん「どんなトーンで挨拶すればいいですか?」と相手に直接聞くわけにはいかないので①徹底的に先輩たちのキャラクターを把握し②誰にはどう接するべきかという学習を始めたんです。裕次郎氏に言われた「きちんと」の意味を彼なりに解釈した答えがこれだったわけなんですね。
曖昧さを含むアドバイスは言葉の意味を考えぬかなければいけないんだなという事を学んだ記事だったので追記しておきます。