今回は学生時代までの人生を振り返ってみたいと思います。書くとあの頃は皆が通る道なのかなと思っていた困難が、発達障害特有のものだったと改めて気づかされました。
ADHDの私(学生時代まで)
幼少期~義務教育まで
1.コミュニケーション面/社交性が低い
性格はおとなしめで、好奇心はそこそこ強い感じでした。インドアだと本とマンガ、アウトドアだと昆虫採集が好きでした。友達とやる遊びは好きじゃなかったですね。ガリガリで貧弱な見た目で口も立つ方ではないので、腕力や命令でマウントを取る当時の男児社会における序列は下の方でした。
鬼ごっこをやるとなぜか自分が鬼、戦隊もの遊びはやられやすい敵、手と目の協調運動を問われる野球をやると空振り三振、と人にアピールできるものがなく、必然と遠慮がちで存在感が薄い子供だったと思います。
気の合う友達は人に命令や干渉してこない地味目のタイプでした。小さいときは一人の世界で楽しめるマンガが好きだったのですが自分の気の合う子って同じような趣味でマンガもいっぱい持ってるから、マンガがたくさんある子の家に行ってはずーっと読んでましたね。 気づけば数時間経って、「え?もう夜?」って過集中ぶりも発揮していました。
その他の特徴としては、優柔不断な面がありました。今考えると興味のないことの先送りや色んな要素を比較検討する力の弱さからきていたと思います。例えばクラス内で男子どおしの派閥争いがあったときに、「で、お前はどっちに付くんだ?」みたいな話になると、結論を出せず両方から無視されてしまうってこともありました。それ以降は同じ轍を踏まないよう長いものに巻かれる選択をするようになりました。
2.学習面/映像認知と抽象性に難あり
小中学校は基本的に主要教科は勉強で困ることはありませんでした。昭和時代は基本の読み書き計算ができれば「暗記の量」で優位さを付ける感じだったので、耳で覚えた情報を丸暗記するのに困難を感じなかった自分はそこそこできていた方だと思います。
中学に入って習った英語も苦手意識はありませんでした。そういえば中学校の英語ってみなカタカナ読みをするのですが、「なんでネイティブのように発音しないのだろう?」と思っていたのは聴覚優位があったからかもしれません。
しかし高校に入り「抽象度の高い」「応用力の問われる」数学や理科や現代国語の授業は苦手でした。特に丸暗記の通用しない数学や理科でも物理化学はボロボロでした。また基本知識を覚えていれば通用すると思い大学別の対策を軽視(実際は先延ばしだったと思いますが)ため、現役時の大学受験はすべて不合格で一年間浪人生活送りました・・・。
その他、できなかったことや苦手なものは、見た物を頭の中で表現しアウトプットする絵画や工作系は小学生から苦手でした。人の顔なんて特徴も思い浮かばず皆同じ顔しか描けなかったです。そろばんは授業で先生の指示を受けながら、珠を指ではじくのですが、これをやってどう計算作業につながるの?というプロセスが理解できませんでした。
3.情緒面/基本空気読めない
ASD特性もあったと思います。「大造じいさんとガン」という国語の教科書にあるお話があるのですが、ガンの群れを統率している残雪という知性の高い鳥を何とか仕留めてやろうとしている猟師の大造じいさんとの生物の垣根を超えた友情の物語です。この感想文で周りの子は、
・仲間を救った残雪は勇敢だ
・大造じいさんは優しい
みたいなことを書くわけですが、自分は
・せっかく罠にかかった残雪を同情心で見逃して残念
・大造じいさんは千載一遇のチャンスを逃した
みたいな事を書いて後で親に「保護者会後に先生に『お子さんは独特な感性お持ちですね』って言われたけど何書いたの?」って言われた記憶があります。自分としてはウケを狙ったのでもなく、思ったことをそのまま書いたのですが、一般的な子供の感覚からすると感性が独特だったと思います。以降、感想文は世間常識を想像しながら無難な事を書くようにしました。
このようにASD特性がありながらも、クラスでは班長になったり生徒会に立候補したりと人に対しては自分をよく見せようという欲求が強かったので、ASD絡みでやらかした失敗は次に生かす学習は無意識に心掛けていたと思います。
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